母の日

豚インフルエンザ、と聞き真っ先に頭に浮かんだのは母トシコの顔であった。トシコの、くしゃみの拍子に失禁した際の、「てへ」と照れ笑いするあの顔だ。尋常でないテンションのかかった紐パンに、容赦なく襲い掛かるNYO-MORE。ポリエステル生地に吸水力などあるはずもないのに!
・・・
明日は母の日である。母親に感謝に気持ちでもってありがとうを伝える日である。しかし毎年この日を迎えるにあたり、私はむしろ彼女のファーフロム母親エピソードを思い出さずにはいられないのだった。本日はそれらのいくつかを紹介させていただきたいと思う。

  • エピソード1・とんぼ事件

おそらく私が小学生低学年のころだったと思う。家族3人で近隣の山にドライブに行った時のこと。人里離れた山奥で車を止め、すぐ近くの川原に下りていった。季節は初秋、気持ちの良い風が川面や木々の枝葉をさらさらと揺らす。ふと見遣ればたくさんのとんぼが飛び回っている。私はとんぼを捕まえてはきゃっきゃと声をあげてはしゃいだ。しかし肩や指先に止まったとんぼはすぐにまた秋空へと帰ってしまう。
「ママ、とんぼ逃げちゃうよー。」
私はトシコに言った。するとトシコは少し考えたあと、
「あ!こうすれば逃げないよ★」
とおもむろに私の手の中にいたとんぼを掴むと、なんのためらいもなくその羽をブリブリっとむしりとったのだった。
「…!」
トシコの背中がラオウのそれに見えた瞬間だった。

  • エピソード2・スイカ事件

私は一人っ子なため兄弟間で食べ物の取り合いをするといったこととは無縁に育ったのだが、トシコはデブなだけあり食べ物に対する執着は人一倍強かった。好き嫌いも激しく(これは食べ物に限らないが)嫌いなものは一切口にしない一方、好きなものは好きなだけ食べないと気が済まない性質であった。大喧嘩をした翌日、父は決まってトシコの好物を買ってきたものだ。「もうパパとは離婚する!」と不細工な顔で号泣した翌日、キッチンに置かれた松茸を見て一気に機嫌を直していたトシコを私は知っている。
その日、父がスイカを買ってきた。トシコは喜んで切り分けた。3人で食卓を囲み早速スイカをいただくことにした。トシコは自分の取り皿にスイカをのせると、スプーンで真ん中の赤い部分をすくっては口へ運んだ。そしてあらかた真ん中の甘い部分を食べ終わると
「ふー、もういいや。」
と残りを食べずにスイカを置いた。
私は思わず
「え、まだぜんぜん残ってるじゃん。もったいないよ。」
と言ったのだが、トシコは事もなげに
「ママ、この水っぽいところキライなの。甘くないじゃん?ミチルにあげる!」
そうして私は甘くない部分を専門に食べ続けるのだった…。

  • エピソード3・クリスマスツリー事件

12月の上旬のことだったと思う。私は小学校から帰宅し、いつものように居間へと入っていった。するとそこには、とんでもなくデカいクリスマスツリーが聳え立っていたのだ。
「わ!なにコレ??でか!」
するとキッチンの影から、ツリーに負けずとも劣らぬデカさ(横幅のみ)のトシコが満面の笑みで姿を現した。ちなみに我が家にはすでに1m超のツリーがあったのだが、このツリーはなんと天井に届くどころか、入りきらずに先端がぐなりと折れ曲がっていた。
「すごいでしょ、コレ。デパートに飾ってあったの見て欲しくなっちゃった★」
トシコ&ツリー。居間の圧迫感たらなかった。トシコがもう少しモノのサイズを的確に判断できていれば、ツリーも紐パンもこんな目には合わなかっただろうに。
以後、毎年のツリー飾りつけは父と私の仕事であったことは言うまでもあるまい…。

  • エピソード4・アイメイク事件

トシコのアイメイク事件といえば代表的なのがアイプチ剥がれ事件(暴風雨 - 柿子memo。)ではあるが、これは比較的最近の話である。
つい半年前ほど実家に帰省した際、トシコのメイクがどことなくいつもと異なることに気がついた。といって別段美しくなったとかそういう話では断じてない(不細工はそうそうメイクでごまかせるものではない)。しばらくトシコの顔を観察しながら「つくづく鼻低いなァ」などと感心していたのだが、はっとアイメイクが異なっていることに気がついた。アイラインがいつもより濃くはっきりとしており、かつ目の下のラインが目尻からはみ出す感じに長く引かれている。
「ママ、どうしたの、目。いつもと違くない?」
するとトシコ53歳、
「あ、これ?そうそう、浅田真央ちゃんを意識したの!」
もう少し腹肉や尻肉やもも肉あたりを意識して欲しいものだ。

  • エピソード5・実力テスト事件

この話はよくするのでご存知の方も多いと思うが、改めて紹介させていただきたい。
あれは私が中学3年生の時であったか。私の両親は二人ともタバコとお酒を毎日飲むのが習慣で、その日もご多分に洩れず晩酌を楽しんでいた。父は仕事柄朝が早いためいつも9時すぎには布団に入ってしまう。そういうわけでその後トシコの相手をするのはいつも私だった(この頃から少々お酒を嗜むようになっていたのだ)。
いつものようにほろ酔いトシコの話を聞きつつ私は時計を見た。9時半を回っている。私は学校の実力テストを翌日に控えていたため、今日のところは早めにお暇してその分の時間を勉強に充てようと考えていた。私は立ち上がった。
「ちょっと勉強するから上(二階)行くわ。」
するとトシコ、
「ええええー、付き合い悪いよお、ちょっとー!」
と年甲斐もなく駄々をこねる。
「や、明日テストだし、ホントごめん。」
と私は逃げるようにドアの方へ向かった。
が、それよりも一瞬早く、トシコがドアの前に立ちはだかった。
この重量からはにわかに信じがたい素早さ!
そしてトシコは言い放つ。
「実力テストは、実力でやるんだヨー!!」
翌日、私は実力でテストを受けさせて頂きました…。

  • エピソード6・髪の毛事件

トシコは時々鏡で自分の顔や立ち姿を見ては
「ママ、結構カワイイ顔してるよね!」
やら
「ママデブのわりには足首細くない?」
などど言って我々を困らせるのだが(そもそも足首の細さで何をアピールする気なのか?)、その日のトシコはいつも以上に根拠のない自信に満ちあふれていた。
中学から帰宅し居間に入ると、トシコはキッチンで夕食の支度をしていた。ただいまと言いかけて私は目を疑った。当時トシコはショートボブ(オカッパ頭)だったのだが、その日はなぜか耳のすぐ上で髪を2つに結っていたのだ。小学生でもやらないような、幼い髪型である。
「な、どうしたの、髪なんて縛って。」
そんな私の質問など完璧にスルーし、トシコは歌うように言った。
「この髪型、ママ、意外に似合ってるでしょ?かわいいと思って。」
こうなるともはや手遅れなので私は彼女の好きにさせておいた。そうこうするうちに父が帰宅する時間となった。車庫に父の車が入ってくる音がした。
「あ!パパだ!ちょっとこの髪型見せてあげよ!」
トシコは玄関に走った。私も後を追った。
玄関のドアが開き、トシコを見た父の驚愕の表情とその第一声は今でも忘れない。
「わ、どうしたんだその頭。きもちわる!」
トシコは一瞬固まったかに見えたが、すぐに居間へ戻ると髪を結っていたヘアゴムを力いっぱい引きはがした。そして、目にいっぱいの涙をためて、震える声で言ったのだった。
「もう、二度と(この髪型に)しないから!!」
その日はとうとうトシコの機嫌が元に戻ることはなかった…。
・・・
というわけで長々と書いてしまったが、思い出したらキリがなくなってきたのでこの辺で一先ず筆を置くこととする。これらの思い出を胸に(しまい)、明日、「いつもありがとう」とメールを送ろうと思う。