思うこと

日曜の夜、帰宅してテレビをつけたところ偶々やっていた番組で聞き慣れない言葉が。それが「ミリオネーゼ」なる単語なのだが、定義は「年収1000万円以上稼ぐ女性で、上昇志向が強く高学歴の持ち主」ということらしい。なるほどね。で、この定義を見ただけでウわァと思わずため息が漏れてしまうのだが、その番組では本物のミリオネーゼに密着取材を行っており、バリバリ現役の29歳&39歳のミリオネーゼが紹介されていた。29歳の方はブランド古着の輸入販売を手がけており、39歳の方は海外ウエディングドレスの販売を生業としている。29歳は上智かどこか卒で39歳は帰国子女なので確かに高学歴。両者とも独身(かつベッピン)。39歳は若い頃外資系の会社のOLだったらしいが10年後の自分はこうあるべき!という思いから会社を辞めて企業。当然初めのうちは会社もうまくいかず「3時間睡眠でずっと働いて参りました」そうな。現在は愛犬3匹と億ション暮らし。趣味はブランドバッグ集め。エルメスの100万以上するようなバッグがごろごろ転がっている。29歳の方もすごい。大学卒業後(22歳か?)いきなりバイトで貯めた貯金で企業。現在年収1700万。しかも現状に甘んじることなく新たに自然食の会社を興さんとしているそうな。まさにザ・上昇志向。近年こうしたミリオネーゼに憧れ、それを目指す女性達が増えてきているらしい。
で、場面変わって@Neo Sitting Room。私が熱すぎるおかゆに悪戦苦闘している最中、隣席の母娘は何やら熱心に話しこんでいた。どうも会話の端々から察するにこの娘は東大の法学部生である模様。母親はバリバリの関西弁でしきりに娘に留学を薦めている。母親の理屈はこうだ。これからの時代「グローバルスタンダード」を身に付けていなければならぬ。そのためにはまずアメリカに行かなければならない(留学といえばアメリカだ的な発想?)。事実、留学から帰国した○○ちゃんによれば「世界の見方が変わった」「全然違う」と。将来自分がどうしてたいか、先を見ないとだめだ、10年後の自分について今から考えなければならない。娘はといえば「やっぱりそうかなァ、でも(ひとりで留学は)心細いけど。でも将来のことは考えとかないとだめだよねぇ。」とほぼ母親に同調していた。この後2人はやれ誰々ちゃんはTOEIC何点だったの、誰々はどこそこに留学したの、誰彼は何点もとったのに留学せえへんかったけどなんでやろだの、まァそんな感じの会話を一頻りした後に去っていった。
この2つの話を見聞きしたパチ沼は何ともはや、ううむと唸ってしまったわけですよ。こうした生き方(というか考え方)に漠然とした違和感を覚えるのですよ。漠然と・・・そう、何かこうもやもやした。いや、例えば39歳ミリオネーゼに対する「って結局エルメスのバック集めが目標かよ!」というツッコミでもなければ、エピソード2の母親の理屈がまず論理学的に偽であることとは別の次元での話なのです、このもやもや感の根源は。ミリオネーゼとこの母親(といずれ娘も)に共通しているギラギラした野心。目標や目的を見失ってどんどこ内に篭るかあるいはどんどこ刹那的になっていく若者の増える中、また男達がどんどんギラギラさを失っていく中、ごく一部の「高学歴な女性」は恐ろしいくらいにギランギランしているのです。ふと周りをみれば、私の友人にもやれ英会話だやれヨガだやれミニ株だと「自分磨き」に余念がない高学歴女性人のいかに多いことか。イケナイことでは決してない。むしろ人生を充分に満喫しているし、目標を達成するための努力も素晴らしい。ギラギラ大いに結構、理解可能。しかしどうしても正体不明のもやもやの塊は消えないのである。
先日にーこちゃんと電話で話す機会があったのだが、そこで合意に至った見地というのが「頭が悪いひとは頭がいい」というもの。我々研究科は違えどお互い博士課程に身をおく立場。世の中的にははっきり言って負け組予備軍である。というのも私は以前、頭の悪い連中のことを世の中に不必要な輩として蔑視していたのみならず、死んだ方が世のため人のためとまで思っていたのであるが、これは完全に私の思い違いであったことを認めざるを得ない。むしろ最近より実感をもって感じるのだが、私がこれまで「頭悪い」にカテゴライズしてきた人種こそまさにこれからの世の中にフィットし、かつそれなりに自分自身の人生をエンジョイしていける能力をもった人間なんだと。博士課程を出たから一体何だというのだろう。論文書いてどうすんねんちゅう話やとにーこちゃんは言ったが、つくづく同感である。自嘲ぎみに「無駄に高学歴」などど笑っていられた時はまだマシである。果たしてこの先にあるものは。漠とした、将来像。ここでまたあのもやもやが私の中に広がっていく。(長いなァ。というわけでまたもやつづく!にしときます。)