誰も知らない

是枝監督の作品の話ではなく「誰も知らない小さんと談志」の話です。en-taxiに連載されている立川談春師匠のエッセイを毎回楽しみにしているのだが、今回はまた、いやいや、深く感銘いたしました。前半は先日の談春七夜で「除夜の雪(私はこの噺を全く知らなかったが、新作を米朝師匠がアレンジしたものらしい)」を演るに当たって、米朝師匠のお墨付きをもらいに行く話。で、後半は二ツ目時代に志らく師匠に先を越された(真打に昇進した)時の話。この後半で紹介されるエピソードを読んでいて思わず涙してしまった。感動というよりも、興奮と言った方が近いと思う。圧倒的に凄すぎる事柄を前にした時の、あの心の芯から身体の隅々までじわじわと波及していくような興奮。
家元が小さん師匠に破門されてからというものの二人は絶縁状態が続いていた。そんな中、兄弟子であるにも関わらず志らくに抜かれた談春が、ただ真打になるのは面白くない、俺にも意地があると、全6回の真打トライアルと銘打って毎回大物ゲストを呼び、最終回に家元を迎えて合否を判定してもらおうと企んだのだった。しかも、ここからが談春の物凄いところなのだが、なんとゲストの一人に超大物も大物、小さん師匠を招こうというのだ!二ツ目ごときが、しかも立川流である談春が、である。このことは無論談志には相談していない。ひょええ。
小さんはOKした。談志は破門したが談志の弟子は関係ないと。そして結局談志にもその事が知れた。ここへきてようやく事の重大さに気付いた談春は動揺しまくる。そして談志の言葉。

「おまえの会に小さん師匠が出てくれるんだって」
ドキッとして言葉が出なかった。
「オレが小さん師匠の家に挨拶に行ってやる。段取りしろ」
そしてニヤっと笑ったあとで、ドスの利いた声で、
「おまえの仕掛けに乗ってやらァ」
と云った。
その晩寝れなかった。

談志ちょうカッコE。そして談春は小さん師匠にその旨を伝えるのだが、師匠はため息をついてこう答える。

「そんなことはしなくていい。あのな、談志は一家を構えて、たくさんの弟子を取って、独立して立派にやっている。今更俺のところに来なくてもいい。あいつは…、今のままでいいんだ」

師匠と弟子。私には計り知れない関係である。そして談春師匠はその時、真の意味で師弟関係がどういうものか、解かったのだと思う。

俺は覚悟だの、けじめだの、一丁前のつもりで独り思い込んでいたが、俺の想いはそんなものじゃなかったんだ。子供が母親に向かって駄々をこねるように談志に、愛してくれ、見つめてくれと泣きわめいて甘ったれているに過ぎなかったんだ。小さん師匠は、それをわかった上で、いや、わかったからこそ、わざわざ俺の会に出てくれたんだ。
そして、談志は小さん師匠の気持ちがわかるからこそ、挨拶に行くと云ってくれたんだ。
涙が、出た。

小さん師匠の葬儀に談志は出席しなかった。後日、銀座のバーで談志は言う。

「葬式、つまり儀式を優先する生き方を是とする心情はオレの中にはないんです。そんなことはどうでもいい。何故なら…」
談志は、ちょっと胸を張っていった。
「オレの心の中には、いつも小さんがいるからだ」

絶縁状態になっても、個体が滅びても、そのDNAは確実に受け継がれるのだ。私は、脈々と受け継がれるその<芸>を、いま談春師匠のなかに見ているのだ。