ぶらりマティス展へ

kakiko2004-09-27

先週土曜日、king(t)とともに上野にある国立西洋美術館に行ってきた。これといって目的はなかったのだが、暇を持て余したヴァンサンカン同士遊びましょう、ええそうしましょうてな段取りになりまして、とりあえず上野駅公園口に集合と当日朝に決定。この辺りがファジーで宜しい。こんにちわー、ハイ、こんにちわ。どうします?ええ、どうしましょうかね。しばし思案した後、king(t)のご神託により「マティス展」を見ることに。今でこそ美術館に行くことが少なくなったものの、こう見えて私中学時代は一人足繁く地元の美術館に通っておったことがあり、実は近代以降の美術史なんかも少し勉強したりなんぞするような少女時代を過ごしておったのです(この頃から一人。)というわけで久々に訪れた美術館、しかも好きな画家Henri Matisse の作品とあって、少女時代に戻ったように嬉々としてしまいましたね。1905年パリで開催された展覧会(サロン・ドートンヌ)に、色鮮やかで大胆な表現による作品を出品し、大きな衝撃をもたらして以降「野獣派(フォービズム)」と呼ばれる彼の作品は自由で大胆なフォルムと美しく鮮やかな色彩・装飾性が特徴的ですが、切り絵や版画なんかに代表されるような後期の作品ではより洗練されたフォルムへの追求が見受けられますな。私は断然前期の作品の方が好きだが。

 「私にとって表現とは、人間の表情のなかに浮かび上がったり、激しい動きによって生み出されるような情熱のなかにあるのではありません。表現は、私の作品のあらゆる位置関係のなかにあるのです。たとえば人体が占める位置とか、そのまわりにある空間とか、プロポーション、そういったすべてがそれぞれの役割をもっています。
 構成とは、画家が自分の感情を表現するために配置したさまざまな要素を、装飾的なやり方で並べる技術なのです」 (アンリ・マティス 『画家のノート』、「ラ・グランド・ルヴュ」 1908年12月25日号所収) 

とまあ彼は述べておりますが、空間の重視は東洋的な発想ですよね。私は以前書道部に所属していたので文字以外の「余白の美」みたいな感覚はわからんでもない。位置・配置の重要性も然り、書道の作品で最後に雅印を押す際の位置決めに通じるものがあります。いや、勝手に思ってるだけだが。てなわけでこりゃ満足、《ルーマニアのブラウス》という絵のレプリカポスターを購入した次第で。現在my roomの冷蔵庫上の壁に飾ってございます。