2●歳になってしまいました

先日6月6日は我が母トシコがぴょッこりパチ沼を娩出した日でした。その日からはや26年、ただ年齢ばかり重ねて人格その他なんら成長していない自分に改めて驚きましたよ、ええ・・・。背の伸びが止まったのが中学2年生(151cmですよ・・・)、その時精神の成長も一緒に止まったんじゃないかと思われるね、これほんと。自分でも時々反省するのだが、私は向上心というものが一切ない。目標を立てることがまずない。こういうと俄かに信じてもらえないかもしれないが、私は毎晩「まァ今死んじゃっても別にいいかな」と思うくらいに日々の暮らしに満足してしまっているのだ。他人からみれば少しもステキな生活を送っているわけでもバラ色幸せな暮らしをしているわけでもないのだが、どういうわけだかプチ満足感、「悔い」というものが全くないのである。この傾向は昔からで、まだ恋愛その他いろいろなことを経験していなかった中学生の時でさえ「まァそこそこいいかな、今」と感じていたのである!これというのも偏に私が向上心というものを持ち合わせていないからに違いない。また私は幸せ閾値が相当低い。むしろ閾値バリアフリー状態。冷えた発泡酒を飲んだだけで「ああウマ〜い、死んでヨシ!」となるのである。楽観的に考えればこれは現代社会をうまく生きるのに適した性質だともいえなくないが、現状に満足しすぎるあまりに私は精神的成長を遂げることができないのである。これはいささか問題があるのではなかろうか・・・。現代っ子の刹那的な生き方を適応と捉えるか何も考えてないだけと捉えるか・・・。私は自分が「何も考えていない」事実に気付き愕然とする時がままある。人生に意味を見出そうとするとなかなか厳しい世の中ではあるが、考えることを放棄し動物的に生きるのはやはり嫌だなァと。楽だけどやはりそれはマズい。というわけでパチ沼、26歳の抱負は「今までどおりマタ−リ生きつつ時々は立ち止まって考える」てなとこですな。ふむふむ。