最近観た映画

メゾン・ド・ヒミコ*1」を先々週mami姉さんと観にいった。監督は「ジョゼと虎と魚たち」の犬童一心、主演は柴咲コウ田中泯・そしてオダギリジョー。何を隠そう私はギリジョー(の顎らへん)がダイスキなのだが、この映画はギリジョーよりも監督に惹かれて観にいったことの方が大きい。というのも何年か前に観た「ジョゼと虎と魚たち」が相当良かったからなのだが(私はあの映画で池脇千鶴のファンになった)、いやいや今作もきっとステキに違いない!てなわけで渋谷はシネマライズに繰り出したと。

癌に冒されている父親とその恋人である若い男、そしてゲイである父を嫌う娘—— 一見、衝撃的ともいえる設定に挑戦している本作だが、実は誰にでもあるごく普遍的なことを描いている。人と人との間にはどうにもならない“壁”があること。そして、その壁の向こう側の人をふと好きになってしまう瞬間があるということ。どうしてもその人を感じたいという衝動を抑えられない気持ち。だからこそ、人間は可笑しくていとおしい——。

私は今26歳ですが、10代のころ、いわゆる思春期ですね、その当時はどうしても他人の間違いを許すことができませんでした。他人といいましても親のことなんですが、肉親ゆえの許し難さというものがあったように感じます。その頃の私は世の中の全ての事象が正しい事と間違った事にきっちり二分できると信じていました。今から振り返ると、一体何を根拠に「正しいこと」と「間違ったこと」を決めていたかといえば、完全に私の主観なんですね。それでも若さゆえの頑なさとでもいいましょうか、自分は絶対正しいと信じて疑わなかったものです。柴咲コウ演じる沙織もこの類の頑固さをもった女性だと思います。白は白、黒は黒。白以外は許せない。一方ゲイの父親の恋人、若くて美しい春彦。ゲイというグレーな存在である自分をそのまま受け入れてくれる居場所を探し求めてとうとうたどり着いたのがメゾン・ド・ヒミコであり、その館長の卑弥呼(沙織の父親)を深く愛している。しかし卑弥呼は末期癌におかされておりまもなく死んでしまう運命にある。結局人間は孤独な存在でしかありえないんだと「愛すること」の限界を感じている。まァそんなこんなでこの映画は偏見・愛・死という人間誰しもが直面する問題を描いているわけですが、「人間は元来弱い生物なんですよ」というメッセージの後に「だから弱いままでもいいんだよ」とは言っていないところがとてもよいと思う。偏見を持ち続け衝突したり、愛したり愛されたり傷ついたり、死ぬことを恐れたり。全力で色々な壁にぶつかりながら結局は乗り越えられずにまた同じ事を繰り返す。でも、その度に人間はグレーな部分をちょっとずつ受け入れられるようになるのではないかと。諦めるんではなく、認めることです。認めるってことは「優しさ」を身に付けることだと思います。人間は弱いけれども、優しさというステキなものを持ちうるよと。いい映画だと思いました。