銀座のカフェで神護寺の歴史を学ぶ

今日は東京国際フォーラムでシンポジウムがあり、午前中に研究の参考になる講演があるので珍しく早起きして行ってきた。その講演自体は40分程度で終了、このまま大学に行くのもなァと思い久しぶりに銀ブラってみることにした。平日の午前中なせいか、そこまで人も多くなく歩きやすい。並木通りをプラプラ散歩、以前4年間バイトしていたカフェの前を通り過ぎる。再び中央通りに沿って歩き、途中鳩居堂を覗いたりしながら4丁目交差点まで戻る。ここの角にあるドトール系列のカフェはちょっとオススメで、二階の窓際の席は大変眺めがよく、ボーっとしたり本を読んだりするのはうってつけ!椅子の座り心地もなかなかでテーブルも広めなので勉強なども捗りそうである(まァ街の性格上こんな時間から参考書を広げている者はいなかったが・・・)。

ネ!なかなか良い眺めでしょう?斜向かいの三越の二階にもカフェがあるが、コーヒーが高そうな上ババ臭いので断然こちらを薦めます!交差点というのは不思議な魅力があるもので、行き交う人々や自動車の往来を眺めているだけで結構楽しいものです。試みに1分間、走ってくる車をチェックしてみたのだがタクシーの数が異様に多く(しかも空車が目立つ)、また白い車は多いくせに赤い車は1台しか通らなかった。あ、なんか「赤い車」って響きが可愛らしいな。まァ消防車とお揃いだけど。目が疲れたので今度は松坂屋の屋上に掲げられている旗を眺めることにしたのだが、それにも飽きて結局読書することに。最近寝る前や移動中にパラパラ読んでいるのが買ったまましばらく放置だった「仏像は語る」。で、第二章「平安の仏たち」の中の神護寺薬師如来像のくだり。神護寺といえば紅葉、かわらけをムキになって投げたなァなどと懐かしく思い出されるが、この寺の歴史に関しては無知で、否、実はパチ沼歴史はからきしダメでして、高校時代も地理に逃避、歴史全般に関して無知なのである。というわけで神護寺はもとが和気清麻呂(わけのきよまろ)の氏寺だとか言われても誰だ?といった感じなのだが、ここでパチ沼の興味を激しく引く一文を発見!!

道鏡のごとき無道の者は、速やかに除くべし」(『続日本紀』)
この神託に、女帝は失望し、道鏡は怒った。清麻呂は偽りを述べたという罪で、名前を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と変えられて、官位を剥奪され、大隈の国に流された。

エエー!?本論とは関係ないけど、穢麻呂って!!清→穢ってあまりに安易!大体「きたなまろ」ってスゴイ言い辛いしね!酷い!よくこんな刑を考えついたよ・・・こういう刑って昔はメジャーだったんですかね?ちなみにパチ沼の本名は「美智留」だから刑罰アフター名は「醜愚留」か・・・。シューグルって、もはや日本人じゃねェ・・・。