胃が痛い、咳が出る、熱がある、色々な汁がでる。

完全に風邪です。今日は全体的にMUGO・ん・・・汁っぽい私です。にしてもこの胃痛は厄介ですわ・・・痛みで目が覚めたくらいですからね、ええ全くだ。皆様も風邪にはお気をつけ下さいましよ。
さて、研究に対する興味・意欲が一向に湧いてこない私ですが(湧いてくる気配すらないアルヨ!)、本業とは全く無関係な事柄には徒に熱中してしまいます。いや、また嘘をつきました。「『私はいま熱中しているんだ』と自分に思い込ませてしまいます」が正しい。本業から、すなわち「私ってば、totally ダメだこりゃ!」という事実から目を逸らすために。何一つマトモにやれてないという、ガッカリな現実から逃げるために。今朝方しくしく痛む胃を抱えながらウウいてぇ、いてぇなコレと苦悶しておったところ、突如「自分はニートである。」という紛れもない事実に気付いてしまったのです。あまりの衝撃に痛みが愈々増幅したことは言うまでもない。先日後輩に向かって偉そうに「これからの時代を生き抜く姿勢として『確信犯的ダメ』を提唱する」みたいなことを言ったのだが、自分のニート性を認識すらしていなかった時点でタダのダメであり、嗚呼、そらもうほんとダメだこりゃ私!
ハイ、というわけでここはひとつ御クスリでもキメてレロレロに・・・なる勇気も金もない半端な日本の私はぐったああーと先刻這い出たばかりの布団に再び突っ伏し、ロケンローな音楽を聴きながらようやくジュンク堂で入手したen-taxiをパラパラ流し読みして時を過ごした。昨晩の残りの赤ワインも消費した。素晴らしく美しい秋の日を蕩尽、これもまたヨシ!で、今回は私にとって興味深い記事が多かったのだが、中でも特集「大竹伸朗2006年ミライは今」での大竹伸朗みうらじゅんリリーフランキーの対談が面白かった。みうら氏も大竹氏もスクラップの鬼で常人には理解し難いスクラッパー談義を繰り広げているのだが、そのなかに男たるものの本質を見た気がした。

大竹:スティック糊はオスが使うもんじゃないよ。口紅っぽいじゃん。あんま燃えない。
みうら:すごいわかる。やっぱり白い大和糊がにゅっと出てくるとか、先がちょっと丸まってる方が・・・。
大竹:穴からこう、ジワって。
みうら:出てくる感じがたまんないですよね。
・・・
みうら:俺、「アラビックエル」使ってるんですけど、あれはチンポですよね。にゅるって塗る時、グっと劣情がこもる。やっぱ糊付けって、オスだなと思う。
大竹:あのスポンジも海綿体っぽいもんね。アラビック糊の詰め替え用ってのがあるでしょう?
みうら:あります、あります。巨根って感じですよね。ねちゃっとする部分も四つくらいあって、ちょっと怖い。使ってらっしゃるんですか?
大竹:いや、まだ使ってない。あれは還暦以降だと思う。あれはとんでもない、スクラッパーにとってのご神体みたいなもんだ。生半可な奴は使っちゃいけないよ。あそこに到達するには、少なくとも五十年はかかる。

私が羨望して止まないもの、それがこの男特有の「執心」なのだ。「何か、ある対象」への執着が拘泥が狂気が、つまるところ「エロ」が、私には元来存在しないのだ!現代の男の子もこれが不足しているのか?ニートがわんさか生まれ出ている原因もここにあるのかも知れない・・・。
マトモへの道へも熱中への道へも進めないダメ沼、嗚呼アタイには人生からドロップアウトするより他に手立てはないのか!?と久々に死にたくなっていたところへ大竹氏の言葉が効いてくる。

やっぱり何か面白いことを追おうと思ったら、99.9パーセント徒労なんだよ。その無駄を省いたら、何も残らない。
・・・
だから、到達点はないってことよ。その徒労を繰り返して行き着けないていう前提でないとダメなんだ。要するに、思い込みしかないんだよ。

思い込みしかない・・・!これだ。「確信犯的ダメ」は、徒労と不可能性を認識しつつ、にも関わらず「思い込む」という姿勢なのだ!ひゃほう!ようし、私も早速思い込むべし!ええと、ええと・・・何を?ア・・・そうそう、先ずは『私はいま熱中しているんだ』と思い込むことにします・・・。ウン、アイ・アム・ニートゥ!